㉓『学校の資料』

2025年7月3日

少し前のこと。ふとした幻聴の中で、「雑誌代わりに学校の資料を読む」という、ちょっとやんちゃな声が聞こえてきました。もちろん現実ではないとわかっているけれど、その言葉が妙にリアルで、耳に残ってしまいました。もし本当にそんなふうに思われていたらどうしよう…と、心の奥に小さな不安が芽生えました。幻聴は、時に冗談のようでいて、私の心を静かに揺らしてきます。

私は今、音楽系の学校の資料を集めています。音楽は昔から好きで、音に包まれているときだけは、幻聴の声も少し遠ざかるような気がするからです。でも最近、なぜか心理学の学校の資料にも惹かれるようになってきました。人の心の仕組みを知りたい。自分の中で起きていることを、少しでも理解したい。そんな気持ちが、静かに、でも確かに芽生えてきているのを感じます。

「これは幻聴の“呪い”かもしれない」——そんなふうに思うこともあります。幻聴が「この学校がいいよ」とか、「この資料を取り寄せなきゃ」とささやいてくると、それが本当に自分の意思なのか、幻聴に引っ張られているだけなのか、わからなくなってしまうのです。そうなると、資料を送ってくれた人に対して、なんだか申し訳ない気持ちになります。せっかく丁寧に届けてくれたのに、私はちゃんと向き合えているのかな、と。

高校時代のことを思い出します。私は建設関係の学科に進みました。なぜその道を選んだのか、正直なところ、今でもよくわかりません。ただ、県立高校に進学すれば、大学の費用を支援してもらえるという話があって、それがひとつの安心材料になっていました。倍率や安全圏を考えて、現実的な選択をしたのだと思います。あの頃の私は、「自分が何をしたいのか」よりも、「どうすれば安心できるか」を優先していたのかもしれません。

でも今、少しずつ「自分の興味」に目を向けられるようになってきました。音楽、心理、そして資料の中にあるさまざまな学びの世界。それらを見ていると、まだ知らないことがたくさんあるんだなと感じます。資料を読むという行為は、未来を想像することでもあります。どんな場所で、どんな人たちと、どんなことを学ぶのか。それを思い描く時間は、私にとって少しだけ心を自由にしてくれる時間でもあります。

幻聴が強い日は、何をしていても集中できなかったり、気持ちが沈んでしまったりします。今日もそんな日でした。頭の中で誰かが話しかけてくるような感覚に、どうしても引きずられてしまう。でも、そんな中でも「資料を読んでみようかな」と思える自分がいることに、少しだけ安心もしています。たとえ幻聴に揺さぶられても、自分の気持ちを見失わずにいられる時間がある。それは、私にとって大きな意味を持つのです。

雑誌のようにカラフルで、夢が詰まった学校の資料たち。そこには、まだ見ぬ世界が広がっていて、私の心をそっと引き寄せてくれます。もちろん、すべてが現実になるわけではないし、迷いも不安もたくさんあります。でも、だからこそ、資料を手に取るたびに「私は何をしたいんだろう」と自分に問いかけることができるのです。

これからも、幻聴に悩まされる日があるかもしれません。でも、その中でも自分の気持ちを大切にしながら、少しずつ前に進んでいけたらと思います。資料の向こうにある「わたしの未来」を、焦らず、ゆっくりと見つけていきたい。たとえ幻聴の声が消えなくても、自分の声を信じて歩いていけるように。そんなふうに、今日も静かに願っています。