⑱『朝になった時の少しの安心』

朝になったときの少しの安心 2025.7.1
夜の不安は、
朝になると、少し姿を変えます。
消えてなくなるわけじゃない。
ただ、あれほど鋭かった角が取れて、
触れたら壊れそうだったものが、
静かに隣に置かれている感じになります。
夜は、世界が狭くなります。
音も少なく、光もなくて、
考えが内側に折り重なっていく。
体のこと、先のこと、
名前のつかない怖さまで、
全部が同じ大きさで押し寄せてきます。
でも朝になると、
カーテンの隙間から光が入り、
遠くで車の音がして、
生活の気配が戻ってきます。
世界がまた外へ広がっていくのを、
体が先に感じ取るみたいです。
「あ、朝だ」
それだけで、
胸の奥が少し緩みます。
夜のあいだ、
不安はずっと隣にいました。
追い払おうとも、
正しい考えに置き換えようともせず、
ただ、一緒に時間を過ごしました。
敵にしなかったからこそ、
朝には、不安も静かに座り直している気がします。
朝の不安は、
夜ほど大きな声を出しません。
「もしも」「どうしよう」よりも、
「今日はどうしようか」
そんな問いに変わっていきます。
未来全体ではなく、
今日一日くらいの大きさに縮んでくれる。
顔を洗って、
鏡に映る自分を見て、
「ああ、まだここにいる」
そう思う。
特別元気じゃなくても、
調子が万全じゃなくても、
生きて朝に立っている事実は残ります。
お茶を一杯飲む。
湯気を見て、
温かさを感じる。
それだけのことなのに、
体はちゃんと応えてくれる。
不安があっても、
体は今日を始めようとしている。
何度も夜を越えてきて、
少しずつわかってきました。
不安は、倒すものじゃない。
消す対象でもない。
朝まで一緒にいられたら、
それで十分な夜もある。
昨日の夜の自分は、
精一杯だった。
答えは出せなくても、
投げ出さずに朝まで来た。
それは、
ちゃんとした「できたこと」だと思います。
今日の私は、
昨日の夜を越えてきた。
それだけで、
少し安心していい。
前向きじゃなくても、
強くなくても、
ここに立っている。
不安は、
今日も隣にいるかもしれません。
でも、光のある時間なら、
同じ不安でも、
距離を取りながら付き合えます。
だから今は、
この朝の感じを大切にします。
大きな希望じゃなくていい。
確信なんてなくていい。
少しの安心を、
静かにポケットに入れて。
今日も、
迷いを抱えたまま、
生きるほうを選びながら、
一日を始めます。


