(52)りょうしん

月に一度、両親が食べ物や飲み物を届けに来てくれる日がある。 その日は、私の生活の中で小さな祝祭のように感じられる。
昼ご飯はたいてい海鮮丼かお寿司だ。 ふだん自分では買わないような、ちょっと贅沢なもの。 玄関を開けた瞬間にふわりと漂う海の香りに、胸の奥がふっと軽くなる。 「今日はその日なんだ」と思うと、朝から少しだけ気持ちが明るい。
食べ物だけじゃない。 水、食パン、ごはん、お菓子。 生活の隙間をそっと埋めてくれるようなものを、両親は黙って置いていく。 その気遣いが、ありがたくて、胸がきゅっとなる。
けれど、その一方で、私は自分の中に小さな負い目のようなものを抱えている。 煙草にかかるお金が、どうしても重くのしかかる。 もう肺に染み込んでしまった習慣は、簡単には手放せない。 「やめたほうがいい」と頭ではわかっているのに、身体は別の答えを返してくる。
本当はお酒のほうが好きだ。 けれど精神薬を飲んでいる身では、飲むわけにはいかない。 好きなものを好きなように楽しめない不自由さと、 それでも煙草だけは手放せない矛盾。 その狭間で、私は今日も揺れている。
それでも、両親が来る日は、やっぱり嬉しい。 ありがたさと申し訳なさが同時に胸に広がるけれど、 そのどちらも、私が生きている証のように思える。

