㉕『シャワー・お風呂』

私は、シャワーやお風呂が少し苦手だ。 毎日入るのが当たり前だった学生時代とは違い、今は週に二度ほどしか入れない。 それでも、私は自分を責めないようにしている。 なぜなら、今の私は、あの頃とは違う場所で、違う心の重さを抱えて生きているからだ。
障害を抱えるようになってから、日常の中の「当たり前」が、少しずつ遠くなった。 シャワーを浴びるという、ほんの数十分の行動が、時にはとても大きな山に思える。 服を脱ぐ、濡れる、洗う、拭く、着替える――その一つひとつが、心の中で重くのしかかる。 「今日もできなかった」と思う日もある。 でも、そんな日があってもいいと、私は少しずつ思えるようになってきた。
グループホームでは、他の人との譲り合いもある。 タイミングを見計らったり、気を使ったりすることが、私にはとても難しい。 実家では、水を出しっぱなしにして怒られた記憶がある。 その記憶が、今でも私の背中をそっと押し下げる。 「また迷惑をかけるかもしれない」 そんな思いが、私を浴室の前で立ち止まらせる。
でも、ある日、職員さんが言ってくれた。 「不潔になるほうが大変だから、水のことは気にしなくていいよ」 その言葉は、私の心にやさしく灯る光だった。 責めるのではなく、理解しようとしてくれるそのまなざしに、私は救われた。
その職員さんは、いつも料理や掃除をしてくれている。 私たちの暮らしを支えてくれている。 その姿を見るたびに、「私も、誰かの役に立てる日が来るかもしれない」と思う。 今はまだ、自分のことで精一杯だけれど、それでもいい。 私は、私のペースで進んでいる。
シャワーに入れた日は、自分を少しだけ褒めるようにしている。 「今日はよく頑張ったね」と。 たとえそれが週に一度でも、私にとっては大きな一歩だ。 昨日より今日、今日より明日。 ほんの少しずつでも、前に進めているなら、それは確かな希望だ。
シャワーの音が、私の心を洗い流してくれる日が、きっとまた来る。 その日を信じて、私は今日も、自分の小さな光を胸に抱いて生きている。


